大分建設新聞

四方山

聞く力

2024年05月08日
 橋本龍太郎元首相といえば、髪をポマードで固めたリーゼントスタイル。キザと揶揄されることもあったが、一国のリーダーとしては行政改革を断行し、厚生族としては超高齢化社会の到来を見越して介護保険制度の創設に尽力した。クールと評されたが、ある官僚の訃報に深い悲しみの涙を流した▼山内豊徳氏。厚生省(当時)から環境庁(同)に出向し企画調整局長の任にあったが、1990年暮れ、自ら死を選んだ。53歳だった。上級職試験に2番でパスし、本来ならば大蔵省(同)に入るコースだったが、「困っている人の役に立ちたい」(遺稿集)と、福祉行政を志し厚生省を選んだ。橋本氏は厚生政務次官を務めた頃から、山内氏の誠実な仕事ぶりに目を留めていたという▼障害者支援などに取り組んだ。そして、環境庁で水俣病患者との交渉の矢面に立ったことが岐路になった。被害者の救済について、国は消極的だった。自身の信条とは真逆であったが、官僚とは国家の意思の代理人である。国と患者の板挟みになって自死した。橋本氏は遺族への手紙に、山内氏の苦衷を察せなかったことに触れ「自分を責めている」と記した▼熊本県水俣市で1日、水俣病患者団体と、伊藤信太郎環境相との懇談会が開かれた。環境省の主催で、患者団体にとっては、自分たちの不安を国に届ける貴重な機会である。8団体が参加したが、許された時間は各団体3分間。これで一体、半世紀をはるかに超える苦難の歳月の何を語れるというのであろうか▼環境省側は3分を超えるとマイクのスイッチを平然と切った。ナチスや共産国家が敵対勢力の弾圧に用いた陰湿な手口である。「不手際」と釈明したが、聞く気などなかったのだ。水俣病に限ったことではあるまい。岸田政権が掲げる「聞く力」が泣いている。(熊)
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