大分建設新聞

四方山

私は昭和

2024年04月24日
 昭和と令和を行き来する「不適切にもほどがある」というテレビ番組があったが、昭和生まれの私としては世の中が変わってしまったとつくづく実感▼変わったと思うのは車が1人1台になったこと(田舎だと用途に合わせて3台、逆に都会は若者の車離れが目立つ)、スマホの出現で電話機を1人1台持ち、しかもテレビ電話が可能になったこと(50年前は自宅に電話がなかったので緊急時は片仮名表記の電報で1字当たり単価だったので「金送れ頼む」が「カネオクレタノム」と表記され「金をくれた飲む」と勘違いした笑い話があった)、パソコンとインターネットの普及(在宅勤務や会議ができる)―など子どもの頃は想像だにしていなかった▼公共サービスも変わった。官から民へを合言葉に国鉄がJRになったり、老人ホームが高齢者福祉施設になり、営利企業が参入できるようになった。あらゆるところに競争原理が持ち込まれ、学校給食や刑務所の給食などにも営利企業が参入した。公務員は年功序列で人件費が高く、官だとコストがかかるため、民ができることは民にやらせたほうが競争原理が働いてコストダウンになりサービスも良くなるはずだった。確かにJR駅の窓口の対応などは改善されたと実感するが無人駅が増加した。採算が取れないと企業は撤退するため学校給食が提供できないことも起きている▼現在が適切になったか分からないが、自信を持って昭和が不適切だと言えるものは、男は大概たばこを吸っており、しかもくわえたばこで路上を歩き、ポイ捨てをやっている。熱血教師はビンタするのが当たり前で人情刑事はかつ丼を食べさせる。極めつけは歌謡曲の歌詞「悪いときはどうぞブッテネあなた好みの女になりたい」▼世の中が変わっても昭和の男の頭は変わらない。(筋)
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