大分建設新聞

インタビュー

昆 祥一さん (㈱髙山組)

2021年03月12日
 竹田市の㈱髙山組(高山茂明代表取締役社長)は、2011年に発生した東日本大震災の復興事業に携わるため、震災の翌年に岩手県釜石市に出向いた。後に支店を設けて本腰を入れて復興に力を注いだ。
 その時、現地採用で入社して、今は竹田市の本社に勤務する昆祥一さんに話を聞いた。
 以前はサービス業の会社に勤務していた昆さんが、建設業に惹かれたのは東日本大震災がきっかけだった。「自分も復興に関わりたいという強い気持ちが芽生えてきた」と話す。別の建設会社で働いている時に、そこで知り合った人に紹介されたのが髙山組だった。
 釜石は復興が進み、やがて釜石の支店をたたむ時が来た。現地採用の7人のうち6人が退職する中で、昆さんは大分への転勤を選び、19年4月に竹田市に移り住んだ。「土木の経験のない自分に、チャレンジする機会を与えてくれた髙山組に心から感謝している。教育体制がしっかりしているところ、上司、先輩方の指導がよかった」と髙山組に対する思いを語り、「釜石から竹田に一週間移住体験させてくれた時に、竹田に行こうという気持ちが固まった」と振り返った。
 もともと建設業に興味はなく「進路として考えたこともなかったが、今は、学ぶことの多さに楽しさを感じている。日頃接する道路や建物にも、その構造を考えながら見てしまう」と建設業の魅力にはまっている。
 現在の仕事は、注目の玉来ダム。「玉来ダムを担当することで、防災に対する仕事に感慨深いものがある。釜石では復興事業で道路に縁石を並べるだけでも楽しかった」と、建設業に転職したきっかけが今の仕事につながっていることに思いをめぐらせた。
 昆さんは、釜石で勤務している時に土木施工管理技士の2級を取得しており、現在は1級を目指して勉強中。「将来は、先輩方のように大きな現場を受け持ちたい」と抱負を語る。
 「チームをまとめて、協力会社の人たちの信頼を得るには、まだまだ知識も経験も足りない。頑張らなくては」と強い思いを穏やかに語り、話を結んだ。
 最後に、感謝しかない髙山組に「自分より若い人が入ってくるといいな」と一つだけ望みを付け加えた。
 昆さんの話を聞いて、謙虚に自分を見つめるところ、粘り強く目標に取り組むところに東北人らしさを感じた。きっといつかは大輪の花を咲かせるだろう。
 「大分の食べ物は何でもおいしいが、特に野菜がおいしくて、トマトのおいしさには驚いた」という。トマト農家で楽しく仕事をしている奥さんと3人の子どもとともに、竹田に移住した岩手県大槌町出身の36歳。休日は身体を休め、落語を聴いてリラックスしている。

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