大分建設新聞

四方山

吉四六さん

2024年02月05日
 吉四六(きっちょむ)さん。大分県人なら誰でも知っている名前です。江戸時代の臼杵や野津を舞台にトンチ話でみんなを笑わせ、女房のオヘマさんと共に今でも本や芝居に登場する人気者。モデルとされる人はいます。江戸時代初期、当時の野津町の呼称、野津院で庄屋をしていた初代廣田吉右衛門さん▼現在の臼杵市野津町、紅葉で有名な普現寺にその廣田家歴代のお墓があります。当時の野津院という地域は現在の静かな田舎町とちがい、日本の歴史に記録される重要な場所でした▼大友宗麟が君臨した戦国時代、キリシタン(キリスト教信者)が数多く住んでいた地域です。当時は臼杵や今の大分市東部、野津院、由布院にかけて数万人規模のキリシタンがいました。野津院には下藤という丘陵に「リアン」という名前の強力なリーダーが大勢の信者を率いて暮らしていて、彼は大友・島津の豊薩戦争の折り、攻め寄せた島津軍を相手に互角に奮戦した闘将でもあります。当時の様子を記録した一級資料、ルイス・フロイスの「日本史」(豊後篇)にも登場する人物なのでご存じの方も多いでしょう▼彼らは宗教弾圧が厳しくなった江戸時代初期頃まで活動していましたが、幕府の禁教政策の取り締まりで「豊後崩れ」などの弾圧が続いて、その後の消息はぷっつり途絶えます。それから約400年もの時を経た昭和31年、ほぼ完全な姿で下藤墓地が発掘され、国指定のキリシタン墓地として一躍世界に知られることになりました▼こうした歴史的な事実から、野津院にいた初代廣田吉右衛門さんがキリシタンだったのではないか、という説も出てきたのです。活動時期が重なっており、野津院の村人の多くが信者だったことを思うと、あながちホラ話ではないような気もします。トンチの吉四六さんの異説です。(あ)
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