大分建設新聞

四方山

盛者必衰

2024年02月15日
 山口県下関側から臨む関門海峡は、夏場の澄んだ群青色とは違い、冬の海面は重く沈んだ色に感じられた。関門橋を間近に臨む海辺のみもすそ川公園。源平最後の決戦の地となった壇ノ浦古戦場跡である。「みもすそ川」の名前は、平家の棟梁、清盛亡き後、ゴッドマザーとして一族を支えた未亡人二位尼(にいのあま)の辞世の歌にちなむ▼「今ぞ知るみもすそ川の御ながれ波の下にもみやこありとは」。二位尼は幼帝の安徳天皇とともに海に身を投げた。公園の一角に碇を担いだ武将像が立つ。平家の猛将として知られた平知盛である。源氏の攻勢に味方が総崩れとなり、平家一門が滅び行く姿を見届けると、海面に浮かび上がらないよう碇を担いで海に飛び込んだと伝わる▼その折に知盛が口にしたのが、「見るべきほどのことは見つ」。平家の栄華と転落、さらには滅亡を見届け、これ以上何を見ればいいのか、という諦観である。ひと言でいえば、盛者必衰(じょうしゃひっすい)、この世の無常であろう。では、この人はどうだったのだろうかと、ふと思う。下関を地盤にした安倍晋三元首相の母、安倍洋子さんである▼安倍家のゴッドマザーと呼ばれた洋子さんが他界した。享年95。岸信介元首相の長女として生まれ、将来の首相と目されながら病に阻まれた安倍晋太郎氏と結婚。母親として、晋三氏、岸信夫・元防衛相の2人の政治家を育てた。とりわけ夫の悲願を実現させた晋三氏を溺愛したという▼憲政史上最長の首相在職日数を塗り替えた晋三氏だったが、周知のように2年前に凶弾に倒れた。そして、自民党の裏金事件で、かつて晋太郎氏が領袖を務め、晋三氏の手で最大派閥に育った安倍派(清和会)が解散の憂き目に遭った。まさに栄枯盛衰を間近で見続けてきた生涯だった。死の床で頭によぎったのは何だったのだろうか。(熊)
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