大分建設新聞

四方山

自民党維新

2024年04月02日
 京都・伏見の「寺田屋」。幕末の志士、坂本龍馬が逗留中、幕府の追っ手に急襲された宿として知られる。この時は風呂に入っていた妻のおりょうが裸のまま龍馬に異変を伝え、すんでのところで逃げることができた。1866年のことだ。その4年前にも歴史の舞台になった▼寺田屋に集まっていたのは、倒幕のため挙兵を計画していた有馬新七ら薩摩藩士たち。この事態に、薩摩藩の最高権力者の島津久光は「倒幕などとんでもない」と怒り、藩士に有馬らの粛清を命じる。藩命で寺田屋に向かった藩士たちは、かつては有馬の仲間だった。壮烈な同志討ちとなった▼激闘の中で有馬の刀は折れた。激情家で知られた有馬は相手に抱きつくと壁に押しつけて仲間に叫んだ。「おい(俺)ごと刺せ!」。命じられた侍は泣きながら突進し、有馬の背中から2人を串刺しにした。維新を夢見た有馬にとっては覚悟の道連れの死であった。この政界きっての実力者の心中も、もしかしたら…と思ってしまった▼裏金問題の渦中にある自民党の二階俊博元幹事長が次期衆院選に立候補しない意向を表明した。党の処分を前に、自らを律した格好だが、権謀術数が渦巻く永田町であまたの修羅場をくぐってきた二階氏だけに、額面通りには受け取れない。早速出てきたのが息子への禅譲に向けた地ならし説だ▼二階氏は和歌山選挙区。同じ和歌山を地盤とする世耕弘成・前同党参院幹事長は衆院へのくら替えのため、同選挙区を狙っているとされる。その世耕氏も裏金問題では安倍派幹部として責任が問われている。二階氏自ら不出馬を宣言したことで、世耕氏にけじめを求める大義にする狙いがあるとも見られている。とはいえ、身内への禅譲が事実であれば、維新の捨て石になる覚悟を決めた有馬の志とは別物であろう。(熊)
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