責任
2025年06月03日
若泉敬をご存じだろうか。米軍による占領統治が続く沖縄の本土復帰を目指した、時の佐藤栄作首相の懐刀として活躍した国際政治学者である。佐藤首相の「代理人」として米側との交渉に当たり、その努力は1972年5月、沖縄復帰として結実した。黒子役であり、歴史の表舞台に立つことはなかった▼彼の名が知られたのは、皮肉にも96年に福井県内の自宅で自死したことがきっかけだった。実は、若泉は返還に当たって、有事の際の核兵器持ち込みを了解する「密約」を米側と結んでいた。終生そのことを悔い、死の2年前に沖縄県民、沖縄県知事宛に書かれた遺書には「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取る」などと書かれていた▼関係者の手で保管されていた遺書が沖縄県に寄贈されることが決まった。「唯々申し訳なく存じ御詫びするに言葉がありません」ともしたためられていた。自己弁明はない。密約という重荷を背負い続けた男の言葉は、深い痛みと悔恨をたたえている。言葉にすることでせめてもの「責任」を果たそうとした、一人の人間の静かな叫びであろう▼若泉に比べること自体、気が引けるが、この政治家の言葉は何と空疎に響くことか。兵庫県の斎藤元彦知事のことである。元県民局長の私的情報漏えいを巡り、県幹部が「知事の指示だった」と証言したにもかかわらず、斎藤知事は一貫して関与を否定した。そして決めゼリフのように出てくるのが「真摯に受け止めたい」▼5月28日の会見では8回も繰り返したという。「真摯に受け止める」という言葉がくれば、自身の進退に関する言葉が続くはずだが、この人の場合は「受け止める」だけで終わってしまう。要は、自分かわいさの正当化の言葉として使われている。「責任」という言葉とは無縁なのであろう。(熊)