戦後80年
2025年08月26日
戦後80年の節目を迎え、降伏文書の原本が大分市の県立先哲史料館で特別公開されている。1945年9月2日、東京湾の米戦艦ミズーリ号上で、日本政府代表として署名したのは安岐町(現国東市)出身の重光葵外相だった。屈辱的な役割にほかの政府高官がひるむ中、重光は「再起の出発点に立ち、使命を果たす決意」で臨んだと伝わる▼亡くなる直前の57年、母校の杵築高校で揮毫した「志四海」の書も展示されている。同校ホームページによると、「四海を志す。志が全世界を覆う。志を全世界に及ぼす」の意という。重光は、日本の国際社会復帰の契機となったサンフランシスコ講和会議(51年)にも全権代表として出席し、国際社会復帰の道を切り開いた。その壮大な言葉は、戦後日本外交の出発点を担った人物に似つかわしい▼折しも韓国の李在明大統領が就任わずか80日で、日本を訪れた。米国より先に日本を訪れるのは国交正常化後、初めてであり、異例の選択である。石破茂首相との会談では「未来志向の協力」をうたい、経済や安保だけでなく、若い世代の交流まで幅広い分野で合意に達した▼だが、日韓の間には依然として歴史問題が横たわっている。韓国の大統領にとっても、8月に訪日すること自体、韓国内の世論の反発を招きやすい。それでも訪日を断行した背景には、石破首相が全国戦没者追悼式で13年ぶりに「戦争の反省」に言及した点が作用したとも指摘される。言葉の重みを、隣国は敏感に受け止めたのだ▼重光の「志四海」は、世界に志を広げよとの願いでもある。いま隣国との対話をどう重ねるかは、政治家だけでなく、私たち一人一人にも問われている。80年を経て展示された一枚の書額から立ち上がる重光の志が、「未来志向の日韓関係」と響き合っている。(熊)