大分建設新聞

四方山

いつでも夢を

2025年09月11日
 「夢がなくなったら、人間はだめになる」。十数年前、取材で橋幸夫さんに伺った言葉だ。誠実な語り口とまなざしは、今も脳裏に残る。「歌手は天命。歌を通じて生きる喜びを伝えたい」とも。82歳で世を去った橋さんの歩みは、たしかに「夢」を歌い、届け続けた軌跡だった▼デビューは1960年。国会周辺では「安保反対」を叫ぶ大学生たちと機動隊が激しくぶつかり合っていた。だが、全ての若者が政治運動に身を投じる恵まれた環境にいたわけではない。多くの若者が労働に汗を流していた。デビュー曲「潮来笠」は、ふるさとを離れ都会へ集団就職した若者たちに熱く受け止められた。笠一つで旅立つ主人公に、自分たちの姿を重ねたのだろう▼「あの時代の青春は、国会周辺だけじゃないんだから。僕のコンサートにも大勢の若者が押し寄せ、機動隊が出動したことも」と笑いながら話してくれた。働く若者に限らず、国民の応援歌になったのが2年後の「いつでも夢を」。吉永小百合さんとの澄んだハーモニーは、世代を超えて口ずさまれた。「夢を忘れずに」というメッセージは、社会全体を前に進ませる合言葉となった▼翻っていまの日本はどうだろう。物価高に賃上げが追いつかず、相次ぐ災害や緊張する国際情勢が暮らしを覆う。夢を語る余裕はない。自己責任を迫る空気に、SNS上には罵詈雑言や憎しみの言葉が飛び交う。社会は一つにまとまるどころか、ますます分断は深まっているようである▼そんな時代であればこそ、橋さんの存在は際立つ。夢を信じ、人々に届け続けた。認知症を患ってもなお「ファンのため」と舞台に立ち続けた姿は、夢を生きることそのものだった。「いつでも夢を」…。いつの日にか、その灯が戻ってくることを信じたい。(熊)
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