人災
2025年11月10日
忘れがたい人だったのだろう。他界して1カ月がたとうとするのに、間欠泉のように話題になる。村山富市元首相のことだ。朝日新聞11月4日付県版に掲載された気象予報士、花宮広務さんのコラムもその一つ。花宮氏は十数年前、大分川河畔のラジオ体操で行き合った村山氏からこう声を掛けられたという▼「地震や豪雨は天災じゃ。防ぎようがない。でも、その後のことは人災じゃ~。人災をいかに小さくするか、それが大切じゃ~」。思えば、村山氏は1995年の阪神・淡路大震災時の首相で、初動対応のまずさゆえに、批判の矢面に立たされた。それから随分と歳月がたっていたにもかかわらず、痛恨の思いを胸に刻み続けていたのだろう。いかにも実直な村山氏らしい▼その村山氏が党首を務めた社民党。2日、旧党名の社会党結党から80年の節目を迎えた。1960年前後の最盛時には、衆参合わせて300人近い国会議員を擁し、自民党の対抗勢力として文字通り戦後政治の一翼を担ってきた。正確には過去形で書かなくてはなるまい。現在の社民党所属国会議員は、参院の福島瑞穂党首とラサール石井参院議員の2人である▼新垣邦男衆院議員が所属していたが、よりによって80年の記念の日に、離党の意向を表明した。祝いの席で、鏡割りの樽より先に〝看板〟が割れた格好だ。党側は「離党は無効」と言ってはみても、国民には強権的に映った向きもあろう▼この党は路線対立による分裂を繰り返してきた。立憲民主、国民民主の両党も源流の一つとして社会党がある。社会主義というイデオロギー政党として出発したがゆえに、国民政党としての意識が育たなかったという側面もあるかもしれない。そして何よりも人材を十分に育てられなかったこと。―これもまた、人災なのかもしれない。(熊)



