それでも
2025年12月03日
炎の勢いが容赦なかった佐賀関の町に、明かりが戻り始めた。立ち入り規制の一部解除で、少しずつ住民の帰還が進む。火災当日の夕食が食卓に残ったままの家もあったという。「私はうれしいけど、まわりの(焼損した家の)人のことを考えると心が痛みます」。焼け残った自宅に戻った住民の声が朝日新聞の記事で紹介されていた▼被災者のことを思えばこそ、なのだろう。その心情に胸を打たれる。時あたかも、17棟が被災した臼杵市の中央商店街(八町大路)の火災から1年が経過する中、被災者や行政、専門家が集まって未来の姿を語り合った。「災害に強い街」を目指す方向で復興への一歩を踏み出すという。焼け野原の中での絶望。それでも、何とか前を見続けようという人々の営みが確かにある▼「それでも」という言葉には、痛みと向き合い、立ち上がろうとする覚悟がにじむ。つらい現実をなかったことにせず、胸に抱えたまま前へ進もうという決意であろう。それに比べて、永田町でしばしば使われる「そんなことよりも」という言葉は、何と軽いことかとの思いを禁じ得ない▼高市早苗首相は党首討論で企業・団体献金について問われ「そんなことよりも、定数削減を」と返した。自民党内に横たわる「政治とカネ」の問題をないがしろにしているかのようでもある。論点を切り替えるつもりのひと言だったのかもしれないが、聞きようによっては本音をあぶり出したかのようでもある▼昨年の総選挙に立候補した大物政治家の子息は世襲批判に「そんなことはどうでもいい話」と言ってのけ、議席から見放されたこともあった。被災地の「それでも」と、永田町の「そんなこと」。どちらの言葉に重みを感じるか、その感覚を鈍らせないことこそ、主権者にできる「それでも」かもしれぬ。(熊)




