大分建設新聞

四方山

裁判

2026年02月04日
 「差別であり、違憲」。そう断じながら、なぜ扉は開かないのか。1952年に熊本県内で起きた殺人事件を巡り、ハンセン病患者とされた男性が隔離先の「特別法廷」で裁かれた「菊池事件」。熊本地裁は第4次再審請求を棄却した。特別法廷の違憲性を認めながら、事実認定への影響は認めないという、筋の通らない裁判所の論理に、支援者らの憤りが渦巻く▼この割り切れぬ思いは、大分市内で起きた交通死亡事故を巡る司法判断のニュースに接した時も感じた。深夜の県道を時速194㌔で暴走し、命を奪った死亡事故。福岡高裁は一審の「危険運転致死罪」を覆し、「過失」に落とし込む判決を言い渡した。制御困難な高速度の証明がない、というのが理由。遺族は「最悪な判決」と声を震わせた▼法律論を精緻に組み立てた結果なのであろう。しかし、なのである。一昨年にようやく無罪が確定した袴田巌さんの事件。最終的に捜査機関による証拠の捏造が認定されたが、発生から47年余の間、裁判所はそれを見抜けず、一人の人間を死刑の恐怖に縛り続けた。この間の裁判官たちは法廷で何を見てきたのだろうか▼誤判を下した裁判官は罰せられることもない。一方で、法律という鎧に守られた彼らの「常識」と、私たちの「市民感覚」との溝は、深まるばかりに見える。その司法に直接モノを言える機会が訪れようとしている。衆院選とともに行われる最高裁裁判官の「国民審査」である▼選挙に比べ関心はあまり向けられないが、司法の硬直性や、市民感覚とのズレに対する意思表示の場として、これほど重い機会はない。法服の奥にいるのが「誰のため、何のための裁判か」を忘れた人々であってはならない。一票というたいまつを手に、司法のありようをきっちりと見極め、判断を下したい。(熊)
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