運命の引き金
2026年04月30日
人間というものは、やってはいけない場面で痛恨のミスを犯すことがある。米価高騰で国民生活の逼迫が社会問題化した昨年5月、当時の江藤拓農水大臣が「コメは買ったことがない。売るほどある」と口を滑らせ、辞任に追い込まれた。よりによって農政の最高責任者の立場で、よりによってあの時にである▼運命の皮肉はときに残酷だ。1986年、旧ソ連のチェルノブイリ原発は「安全性テスト」の最中に暴走し、東電福島第一原発と同等の最悪の事故を引き起こした。安全を確かめる手順そのものが破局の引き金を引く。人間が制御できると信じた技術が牙をむいた瞬間だった▼玖珠町などにまたがる陸上自衛隊日出生台演習場で、痛ましい事故が起きた。射撃訓練中の最新鋭一〇式戦車の中で砲弾が暴発し、隊員3人が死亡、1人が重傷を負った。原因はまだ分からない。砲弾なのか、車体なのか、操作なのか。専門家も首をかしげるほどの異常事態である。折しも同じ日、政府は防衛装備移転三原則と運用指針を改定した。救難、輸送、警戒、監視、掃海に限ってきた「5類型」の歯止めを外し、殺傷・破壊能力のある武器の輸出を可能にした▼戦後掲げ続けてきた「平和国家」の大きな転換点であろう。現場で最新兵器の危うさがむき出しになったその日に、政治の側では武器輸出のアクセルが踏まれた。間の悪さというより、時代の危うさが同じ日に顔を出したような感覚に襲われたのである▼武器とは人を殺す道具である。その武器を他国に売る国になると決めた日に起きた惨劇。牽強に過ぎるかもしれないが、「安全保障環境の変化」の掛け声の前に、この符合に何も感じないほど、私たちはどこか鈍くなっているのではあるまいか。今はただ、亡くなった3人の隊員に、静かに手を合わせる。(熊)

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