大分建設新聞

四方山

援歌

 
2026年09月30日
 耶馬溪の川の岩場に立って、少女は歌っていたという。中津市出身の演歌歌手、松原のぶえさんが65歳で急逝した。山あいで育ち、18歳まで海を見たことがなかった。港の別れを歌うデビュー曲「おんなの出船」には、初めはぴんと来なかったらしい。紅白歌合戦には7回出場の実力派。演歌界の歌姫だった▼幼少期から腎臓病と向き合い、人工透析を受けながら舞台に立ち続けた。その姿は、病と闘う人たちの励みにもなったろう。盲導犬育成のチャリティーにも力を注ぎ、中津市の観光大使として故郷にも尽くした。演歌は時に「艶歌」「怨歌」とも書かれる。松原さんが人生で奏でたのは、人を支える「援歌」でもあったのだろう▼援歌の人といえば、熊本県八代市出身の八代亜紀さんも忘れがたい。クラブ歌手から身を起こした苦労人は、女子刑務所への慰問を長年続け、塀の中の人々に歌を届けた。熊本地震や2020年7月豪雨では、被災地で無料コンサートに参加し、仮設住宅を訪ねた。歌は壊れた家を直せない。それでも、うつむいた人の顔を上げさせる力はある▼その八代さんが亡くなって3年近く。今年7月、熊本を再び大地震が襲った。被災した八代市役所に9月、笑顔の八代さんが「だいじょうぶ/だいじょうぶ/みんなで一緒に頑張ろう」と語りかける横断幕が掲げられた。市内の看板会社がボランティアで取り付けたという。残した言葉と記憶は、傷ついた街をなお励ましている▼台風、大雨、地震。災害が相次ぐ。現場へ向かうのは、警察や消防だけではない。道路を開き、がれきを除き、寸断された暮らしをつなぎ直す。そこには地域に根を張る建設業の仲間たちがいる。スポットライトも拍手もない現場で、人のために汗を流す。その姿もまた、誰かの背中を押す「援歌」である。(熊)
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